2016年12月25日

It's a Sony展に行ってきた その1

現在、銀座ソニービルで開催されている“It's a Sony展”に行ってきました。It's a Sony展はソニービルが建て替えられる前に行われているカウントダウンイベントです。
2016年11月12日から2017年2月12日までの前半は「歴史」をテーマに過去発売されたソニー製品を展示し、2017年2月17日から3月31日までは「未来」をテーマにし、現在のソニービルを解体し2018年夏オープン予定の“銀座ソニーパーク”の様子を先取りできるインスタレーションを展示するそうです。



今回は2月12日まで行われている、「歴史」をテーマにした歴代ソニー製品の展示を見てきました。展示の写真撮影は許可されており撮り放題ということで約80枚ほど撮ってきたのですが、ワタシの中だけで持っておくのは勿体無いということで徒然ブログで紹介してみることにしました。
何しろ、写真点数が多いため何回かの記事に分けての紹介とし、“その1”となる今回はポータブルオーディオに特化した展示を紹介していこうかと思います。



まずは1957年に発売された当時、世界最小のトランジスタラジオ「TR-63」です。このラジオのために作られた積層電池が006Pと呼ばれる角型9Vの電池です。使用機器が無くなり用途が激減する積層電池の中で唯一生き残った電池で、今日も100円均一ショップなどで入手できる電池です。

1966年に発売されたソニー初のコンパクトカセットレコーダーである「TC-100」。愛称は“マガジンマチック100”であった。ちなみに展示されているTC-100の中に入っているカセットは何故かパソコン用の“SOM 10”であるが、これに気づいた人は何人いるだろうか?
ちなみにTC-100の隣に展示されているカセットテープ「C-60」も最初期のものではなく、当初ソニーのコンパクトカセットテープは“マガジンテープ”と称され、パッケージにも記載されていたようです。





このTC-100は何回かのマイナーチェンジが図られており、ワタシが所持している「TC-100A」(写真右)ではテープの蓋が半透明化されているほか、テープの取り出しレバーが“MAGAZINE UP” という表記から普通に“EJECT”となっています。これもソニーがコンパクトカセットテープのことを“マガジン(テープ)”と呼ばれていたものによるもののようです。



一気に時代は流れて1984年に発売された世界初のポータブルCDプレイヤーである「D-50」。隣はD-50開発に当たり、当時の事業部長がCDジャケット4枚分を目標として作らせた木型だという。ほぼこの大きさに近いポータブルCDを完成させたソニー、恐るべし技術力と言ったところでしょうか。
その後ソニーが発売するポータブルCDには“Discman(ディスクマン)”の名称が付けられますが、D-50には特に名称はなく、後継機である“D-50MKII”からDiscmanの名称が付けられました。

これはそんなディスクマンの最薄モデル「D-J50」。CDジャケット1.4枚分程の薄さとなっています。バッテリーパックは後方に付けられるようになっており、バッテリーパックを装着しても薄さを保てる設計になっていました。徹底的に最薄を追求したポータブルCDプレイヤーと言えるでしょう。
余談ですが、このポータブルCDには時計が内蔵されており、指定時間でCDの再生を止める機能(スリープモード)や指定時刻でCDの再生を開始する機能(タイマーモード)を装備し、目覚まし時計的な使い方も可能でした。
初代ウォークマン「TPS-L2」とその原型となったテレコであるプレスマン「TCM-100」。世界初のヘッドホンステレオで故障があっては印象が悪くなるということで同じ金型とメカを流用したという逸話があります。
初代ウォークマンに搭載されていた機能として、本体上部にあるオレンジ色の“HOTLINE”ボタンを押すと内蔵マイクで外部の音を拾えた。 つまり、ヘッドホンで音楽を聴きながら会話を楽しむことが可能だったのです。
某テレビ番組ではボタンを押すと消音されると紹介されていたが、それは間違い。




最近DATマニアなワタシにとっては見逃せない、初代DATウォークマン「TCD-D3」。ワタシが初めて入手したDAT機器もこれでした。後継機TCD-D7の時代の頃に売れ残りを購入した記憶。渋谷の東急だったかな?
右の写真は当時の新聞広告かな?『晴れてウォークマンになりました』 というキャッチコピーが良いですね。下は当時のDATデッキのラインナップが…。唯一だったソニーのカーDAT「DTX-10」も見えます。



ソニーのデジタルレコーダーと言えばスクープマンこと「NT-1」も見逃せない存在です。 切手サイズ大のデジタルマイクロカセットでADPCM圧縮によりデジタル録音ができる録音機でした。DATと同様に回転ヘッドを使用していますが、コンパクトカセットテープのようにA面とB面の両面を使用していました。当時、欲しかった機種の一つでしたが、定価10万円の壁は厚かった。

こちらはNT-1の後継機「NT-2」です。オートリバース機能を搭載し、前機種では不可能だったデジタル録音も別売のNTステーション「NTU-S1」を使用すれば光デジタル入力による録音が可能になりました。





NT-1と同じ1992年に発売されたのが、MDウォークマンの初代機「MZ-1」です。直径64mmの光磁気ディスクをカートリッジに収めた“ミニディスク(MD)”という媒体を使う録音機でした。この機種は世界初のMDレコーダーでもあり、デッキよりも先行していました。このことからMDは当初より持ち歩き、つまりポータブルを意識して開発されていたことがわかります。
その後、MDは日本でそこそこ普及し、ソニーのみならず各社からMD機器が発売されることになります。
歴代ウォークマンたち。初代ウォークマンからCDウォークマン、MDウォークマン、そして最新のハイレゾウォークマンまでが一同に展示されています。










比較的初期なカセットウォークマンたち。写真下の“ウォークマンD.D.(WM-DD)”のカラーラインナップが凄いですね。全6色展開だったそうです。








ウォークマンの2世代目となる「WM-2」です。初代機はTCM-100をベースに作られましたが、このモデルから筐体もウォークマンオリジナルとして開発されました。写真左のスケルトンタイプは販促用に作られ、一般市販はされなかったという超絶レアモデル。展示品は当時のものと思われるソニー・エバレディのアルカリ電池が入ったままになっていて萌えます。

初期モデルなディスクマン。上から「D-50」「D-55T」「D-50MKII」、下段「D-700」「D-100」。D-100はバッテリーパック“BP-100”を装着した状態とそうでない状態の2パターンで展示されていました。
D-700はD-50をベースに作られた据え置き用の小型CDプレイヤーで電池駆動は出来ませんでした。それ故、あまり出回ったとは言えない機種です。


D-88」と「D-82」。どちらも8cmCD専用のポータブルCDプレイヤーでしたが、D-88は底部のディスクセレクターを動かせば一般の12cmCDも再生可能でディスクが本体からはみ出して回転するインパクトのあるビジュアルは今でも語り継がれています。
D-82は完全8cmCD再生専用のポータブルCDプレイヤーで、初めて“CDウォークマン”の名称が付けられた機種です。



もう一つ変わり種のディスクマン。写真左上の「D-901NV」はテレビにナビ機能を搭載した“ナビゲーションディスクマン”。その隣の「D-80」は実質D-82の後継に当たる8cmCD再生専用のポータブルCDで“ベイビーディスクマン”という愛称が付いていました。3秒の音飛び対策機能を搭載。
写真下は初代MDウォークマン。左が録再機の「MZ-1」で右は再生専用の「MZ-2P」。本体サイズは同じで内部基板も同じものを使用していました。
ディスクマンと言う名称だったソニーのポータブルCDプレイヤーは1998年から“CDウォークマン”に変更されます。
写真右下の「D-CJ01」はCDウォークマン初のMP3再生機能を搭載したモデル。ワタシは底面の塗装が剥げるまで使い倒した。蓋が開かなくなっても、リモコンが壊れても動き続け、ソニータイマーとは無縁な機種でした。両サイドでCDの回転が見えるデザインも良かったですね。


MDウォークマン。おお、写真右上はこのブログでも紹介したことがある「MZ-R37」ですね。改めて見ても秀逸なデザインです。その隣はMDウォークマンで初めてリチウムイオンポリマー電池内蔵した再生専用の「MZ-E95」です。その下はMD生誕10周年を記念して作られた「MZ-E10」。ワタシも実物を所持していますが、メチャクチャ薄いです。その分ガワも薄くボコボコになりがちだった。



ここにも、初代DATウォークマン「TCD-D3」がありました。SONY展D3推しですねぇw。DATウォークマンシリーズで展示されていたのはこの機種のみで、他の機種は展示されていませんでした。個人的には某有名アニメでモデルとなった「WMD-DT1」は展示して欲しかったですね。唯一の再生専用ポータブルDATでもありましたし。



これは2003年から2005年まで展開された高級AV機器ブランド“QUALIA(クオリア)”のMDプレイヤー「QUALIA 017」。 メカは前述の「MZ-E10」を流用したものになっており、その理由からHi-MDには非対応でMDLPまでに対応していました。真鍮削り出しボディにパラジウムメッキを施した本体はとても綺麗ですね。当時の定価は18万9千円。



ソニーの変わり種デジタルオーディオプレーヤー“VAIO pocket”こと「VGF-AP1」も展示されていました。当時のソニーはデジタルオーディオプレーヤーの実験作をVAIOブランドで発売していた時代がありましたが、これもその一つでソニー初のハードディスク搭載デジタルオーディオプレーヤーでした。G-senseというタッチパネルとボタンを合わせたようなインターフェースを備えており、操作に慣れるまで使いにくい印象がありました。
写真右はワタシ所有の本機を動作させたもので、MDウォークマンなどとは全く異なる漢字表示リモコンを装備していました。 写真も表示できるためか、かなり綺麗なカラー液晶です。



これは1982年発売のポータブルテレビ「FD-200」。16.5mmの薄型扁平ブラウン管を採用して、本体の厚さを33mmに抑えたモノクロテレビで愛称は“フラットテレビ”。この頃は他社からもブラウン管を使用したマイクロテレビは出ていましたが、ブラウン管分の奥行きが長く、細長い外観だったのが特徴でした。この外観はもう液晶テレビですよね。

ポータブルテレビはカラー化すると液晶を採用し、各社趣向を凝らしたテレビを発売しましたが、やっぱりソニーは違った。
1988年に発売した2.7型液晶テレビ「FDL-33S」はモニターとチューナー、電源部が分割が出来、使用用途によって構成を変えることが可能でした。ビデオモニターとして使う時はチューナーを省いて電源部のみを接続すれば良く、大きさも小さくなりました。
付属のシューアダプターを使ってビデオカメラに付けられたほか、別売のアームスタンドを使えば車内でも使用可能だったりと様々な用途を提案していました。


最後に紹介するのはソニービル完成記念に作られたというラジオ「9R-41」です。パッケージも内側がカレンダーになっていて、たいへん洒落ていますね。

以上、今回は主にポータブルオーディオ機器を中心に取り上げてみましたがいかがでしたでしょうか。これでおおよそ半分ですので、まだまだ写真があります。次回は個人的にビビッときたソニー製品やメディア関係を取り上げていきたいと思いますので、よろしくお願いします。でも今年中は無理かも。この記事も作成するのに1週間位かかったし(汗。


2016年10月29日

SONY MD DATA 140MB MMD-140B

今回は2016年10月11日に新発売したソニーのMDデータディスク“MMD-140B”を紹介します。MD DATAは音楽用MDと同一サイズの専用ディスクにデータを格納するための記録媒体で、ソニーより発売された電子ファイル「DATA EATA」やマルチトラックレコーダーなどに採用されました。
サイズは音楽用MDと同サイズですが、内部にはデータ用か音楽用かの情報が書き込まれており、MD DATAは音楽用MDとして使うことは出来ず、その逆も不可能です。なので、両者は別個のメディアと考えるのが正しいと思います。


このMD DATAは10月11日に発売したばかりの新製品。現在MD DATAを採用した製品は発売されていませんし、普及したとも考えられませんが、現在でもある程度の需要があると考えられます。
写真上が今回紹介する“MMD-140B”の前世代に当たる“MMD-140A”で専用ケースに格納されていましたが、“MMD-140B”では音楽用MDと同様のケースに変更されたと見られ、パッケージデザインはそのままにパッケージのサイズが変わっています。

パッケージ裏。特にキャッチコピーの記載も無く、製品名と注意書きのみの記載でシンプル。これが終わったメディアの行く末なのでしょうか。
原産国は“日本”。かつてはゼウス(後の中谷産業・仙台プロダクト)が2012年にMD製造から撤退し、セハンメディア(現・コスモ新素材)も製造していましたが、現在は発売・製造共にソニーが行っているのみとなっています。なお、バーコードのベンダーは“ソニー(4548736)”となっていました。

開けてみました。案の定、ケースは音楽用MDと同様のスリーブケースとなっていました。インデックスラベルも一応“MD DATA”ロゴの付いた専用のものになっていますが、音楽用MDと全く同じラベルになっています。悲しきコストダウン…。というか共通化か。
元々、MD DATA登場当初は音楽用MDと同様のケースを用いていましたのである意味原点回帰とも言えそうですが。



歴代ソニーMD DATAメディアを比較してみました。左上が初代(MMD-140)右上が2代目(MMD-140A)下が現行(MMD-140B)です。2代目の“MMD-140A”ではブラックのシースルーシェルがカッコいい印象を受けましたが、“MMD-140B”は紺色が入った黒いシェルになっています。
前2世代ではライトプロテクトの位置が見える窓が設けられていましたが、“MMD-140B”では省略されています。ここにもコストダウン化の波が。この機能は便利だったので、音楽用MDにもフィードバックされるかと思ったのですが、どこのメーカーもマネしませんでしたね。

歴代MD DATAメディアの裏面。並び順は上の写真と同様です。驚いたのはこの部分。MD DATAディスクはデータを扱うという観点からか、シャッターが裏面のディスクまで完全密閉されている点が特徴でした。しかし“MMD-140B”ではディスクの回転部が露出している音楽用MDと共通の仕様となっていました。
TwitterでこのMD DATAの新発売をツイートした時“シャッターはネージュとかのと共通”と書いた時に前述の理由から、一瞬違うかもと思ったのですが、本当に共通だったとは。驚きました。

ちなみにソニーの電子ファイル「DATA EATA」で音楽用MDを挿入すると『ディスクの種類が違うため、対応できません。』というエラーが出て、初期化すら出来ません。






しかし、MDデータディスクを挿入すると、初期化の確認画面が出てきました。これがMD DATAが現在でも発売している理由なのかもしれませんね。






最後にMDデータディスクは音楽用MDと比較すると、右上のコーナー部が角ばっています。これは見た目や触り心地でMD DATAを人間が認識するための工夫であり、機器側はこの形状で認識しているわけではありません。前述の通り機器側ではディスクに書き込まれたデータ用か音楽用かの情報からメディアを認識しているのです。

2016年9月19日

IMATION CD-R 650MB/74MIN<フリープリント> シルバー・レーベル CDR74A FPS

久々の徒然ブログ、今回は2015年にメディア事業から撤退したことで知られる“IMATION(イメーション)”のCD-Rを紹介します。
イメーションはアメリカのスリーエム(3M)社がメディア事業から撤退するに当たり、同事業を受け継ぐために分社化された企業で、日本でも住友スリーエム(現・スリーエムジャパン)から独立し“イメーション株式会社”が設立された経緯があります。
このCD-Rはその分社化直後のもので、イメーションのロゴが“IMATION”と大文字になっており、後年は小文字“imation”表記となります。


パッケージ裏。キャッチコピーは『ワイドマージン強化構造ディスク。』でよっぽど自信があるのか、様々なウリ文句が記載してあります。社名表記は“イメーション株式会社 データストレージシステム事業部”、生産国は“Made in Japan”で日本製となっています。現在では絶滅したと言っても過言ではない日本製CD-R。製造元が気になる所です。
ちなみにバーコードのベンダーは該当無し。現在、日本法人は消滅しているのでバーコードの登録も廃止したのでしょう。

ディスク盤面。パッケージ通りのシルバー・レーベルとなっています。盤面に触れてみるとザラザラ加工なので、プリンタブルレーベルだとは思いますが、現行のインクジェットプリンタに対応しているかどうかは不明です。パッケージには専用プリンタの記載はありますが、インクジェット対応かの記載はありません。




ディスク裏面(記録面)。これ、このブログで何度となく紹介してきたあのメーカー製のシアニン色素ですね。三菱化学メディアのアゾ色素よりも濃くなく、太陽誘電のシアニン色素よりも濃い色…。
ディスク中心のロット番号印字は“CD-RECORDABLE 9507A1-74” となっていました。














「Nero InfoTool」で見た本CD-Rの詳細。やっぱりメーカーIDは“TDK (97m32s00f)”でTDK製でした。イメーションはこの後TDKのメディア販売事業を買収し、TDKブランド製品の販売を開始しますが、この頃からTDKとの繋がりがあったのでしょうか。それにしてもこのブログ、TDK製のOEMが多いねw。

このCD-Rのジャケット裏に記載されていた、当時イメーションが発売していたCD-R関連機器のラインナップです。この上右にある「CD-Rレーベルプリンター」ってのがこのCD-Rでプリントできるプリンタみたいですね。やはり、プリント方式は不明。
今回紹介したシルバー・レーベルのプリンタブル以外にも、ゴールド・レーベルとホワイト・レーベルのプリンタブルが、メーカー・レーベル(手書き専用)のゴールド・レーベルが存在していたようですね。



なおイメーションは当初、本社を旧・住友スリーエムに近い世田谷区用賀に置いていましたが、後に渋谷区神宮前にある青山オーバルビル(写真)に移転しています。日本法人解散直後まで所在していたようです。
この写真は樋上いたる先生の個展に行って来た時に撮影してきたものです。