今回の徒然ブログも前回から引き続き、銀座ソニービルで開催されている“It's a Sony展”で撮ってきた写真を紹介していきたいと思います。前回は主にポータブルオーディオ機器を中心に紹介して来ましたが、今回は個人的にビビッときたソニー製品を気楽に紹介していきたいと思っています。
まず、最初はソニーの前身となる“東京通信工業株式会社”の看板です。ソニーがこの社名だったことを知る人はそろそろ少なくなってきそうな感じですが。
隣はあの東京通信工業(東通工)の“設立趣意書”の原本ですが、あまりにも有名で写真を撮る人はいっぱいいるだろうと思って敢えて撮影はしませんでした。
左の写真は1949年に製造されたとされる「天皇陛下のインターホン」。凄い。ソニーは宮内庁御用達だったんですね。その横はかの有名な「電気ざぶとん」。石綿もサーモスタットも付いていない代物で「布団に焦げ跡ができた」「毛布を焦がした」という苦情も多かったという。「銀座ネッスル商会」という別社名で発売されたソニー自身も認める黒歴史商品。
右の写真は木のお櫃にアルミ電極を貼り合わせただけの「電気炊飯器」。電圧の変化や水加減、お米の種類などによって芯があったりお粥のようになってしまい、うまく炊ける方がまれだったという。このため、実際この電気炊飯器は発売されることがなかったらしい。
ここからは様々な1号機を紹介。まずはCDプレイヤーの1号機「CDP-101」。世界初のCDプレイヤーでもあります。
左はCDP-101の背面です。上部には“アクセサリーコネクター”という端子が見えますが、これはサブコード出力端子で後にCD規格の拡張を見込んで付けられた端子でしたが、結局専用のオプションは出なかったようです。ただし、他社からはサブコード出力を使うCDグラフィックスデコーダーが発売されたようでありますが…。
こちらも1号機で世界初のエルカセットデッキ「EL-7」。エルカセットはソニー・ティアック・松下電器産業(現・パナソニック)が提唱したカセットテープの規格で、オープンリールテープと同幅のテープを文庫本サイズのカートリッジに収めた規格でした。
市場での評価は高かったものの、商品は短命に終わってしまいました。その為、中古市場でも見ることが少なく、ワタシもエルカセットとデッキ共に実物は初めて見ました。
業界が待ち望んだデジタル録音が出来るテープレコーダー“DAT(Digital Audio Tape)”デッキの1号機「DTC-1000ES」。CDを大きく超えるオーバースペックが普及を阻めたのは有名な話であり、レコード業界からの要請でこのDTC-1000ESを含めた1世代のDATデッキはCDからのデジタル録音が禁止されていました(これらの機種は通称・懇談会仕様機と呼ばれている)。
個人的に大変お世話になった電子ブックプレイヤーの1号機「DD-1」です。通称は“データディスクマン(DATA Discman)”。電子ブックとは8cmのCD-ROMを専用のキャディーに入れたメディアで現在で言う電子辞書の先駆けというべき存在でした。ワタシの学生時代は「DD-75」という広辞苑が完全収録されたモデルを使っており、お世話になっていました。当時は広辞苑が完全収録されたのが電子ブックしか無かったのです。
1号機の最後は個人的な思い入れだけで紹介する、ミニコンポ“Pixy(ピクシー)”の初代機「MHC-P77」です。まだハドオフも無かった子供時代、これのカセットデッキ部分とアンプ部分が落ちていて拾って使っていた記憶が…。ワタシはこの頃からジャンカーだったんですね。
幼いながらの記憶ではスペアナ+グライコとサラウンドで遊んだ記憶がうっすらとw。
デジタルカメラの原型となった“電子スチルカメラ”です。ソニーはこの種のカメラを“マビカ(Mavica)”の商標を使い発売していました。報道向けとしては普及した電子スチルカメラですが、家庭用としては全くと言っていいほど普及しませんでした。その理由の一つとしてビデオカメラ並の価格でありながらも画質がそれほど良くなく、静止画記録のみだったからと言われています。
ソニーからも家庭用1号機である「MVC-C1」(写真左)と、これに音声記録機能とマクロ撮影機能が付加されたとされる「MVC-A10」(写真右) の2機種を発売するのみで終わっています。
MVC-C1の横に置いてあったフロッピーディスク。これは1981年に発表されたマビカ試作機用のフロッピーだと思います。構造は後に製品化された2インチデータディスク同様ですが、右下に謎の目盛りが付いています(撮影枚数の目安?)。
MVC-C1では既に製品化された2インチデータディスクが用いられていたようです。しかし、初めて見たこのフロッピーに興奮してしまいました。
ヨーロッパ市場向けにリリースされたというシステムコンポ「LISSA」。上から、アンプ(STR-LSA1)、CDプレイヤー(CDP-LSA1)、MDレコーダー(MDS-LSA1)で構成されています。洗練されたデザインが非常に素晴らしいですね。
日本でもソニースタイル限定で受注生産されていたようです。
DATデッキとしてもう1台展示されていたのがこの「DTC-1500ES」。1990年に発売されたモデルで定価30万円の上位機種だったようです。
前述の1号機「DTC-1000ES」とは違い、SCMS(シリアルコピーマネージメントシステム)を搭載し、CDからのデジタル録音が1世代のみ可能になりました。
お茶の間で演芸番組の定番となっている“サンパチマイク”こと「C-38」です。こちらは1965年発売の初代モデルですが、現在でも「C-38B」として発売され続けている超ロングセラーモデルとなっています。
ソニーと言えば様々な機器を生み出してきたメーカーということで、様々なメディアを生み出してきました。まずは原点とされるオープンリールテープから。当初は“Soni-Tape(ソニ・テープ)”という名称で、その意味はソニーの語源ではなく、音を意味するSonicから取られた名称だったという。
そんな中で目に付いたオープンリールテープがこれ。東通工時代のソニ・テープみたいなのですが、3号リールでありながらもメタルリールなのです。思わず写真を撮ってしまいました。
お次はコンパクトカセットテープです。1970年代のテープはLN、CR、DUAD、HFの全ランクで統一されたデザインで並べられると圧巻ですね。よく見てみるとパッケージデザインだけではなく、分数で同じ色分けがされていることがわかります。左の写真はテレコなどに付属されてきたと思われるデモテープのようです。
コンパクトカセットテープの中で目を引いたのは写真下に見られるレインボーカラーのテープ。これ、他社の記事でも写り込んでいて気になってなんだろうと思っていたのですが、これもデモテープのようですね。とても美しいデザインです。
上の金ピカなHFはオーディオカセット5000万本達成記念として作られたテープのようです。恐らく市販はされていないテープと思われ、レア物かもしれません。
どちらとも成功したとは思えない「エルカセット」と「ベータマックス」。エルカセットはオープンリールテープと同幅のテープを文庫本大のシェルに収めたカセットでコンパクトカセットテープより大きいことは有名ですが、文庫本と同じと聞くと小さく聞こえるので不思議だw。
ちなみにベータマックスも同じ文庫本大。ベータマックス開発当時はソニーの社員手帳が文庫本サイズだったらしく、エルカセットも密かにこのサイズを意識していたのかもしれませんね。
アナログな「マイクロカセットテープ」とデジタルの「デジタルマイクロカセットテープ(NT)」。デジタルマイクロカセットテープの方が切手サイズ大で小さい。これはソニーが開発したものですが、マイクロカセットテープはオリンパスが開発したものでソニーが開発したものではありません。
「8ミリビデオテープ」と「DATテープ」、「2インチデータディスク」。8ミリビデオテープは地デジに移行する直前まで使っていました。この小ささで180分まで録画出来るのは十分魅力的でした。DATテープは今でもお世話になっておりますw。上から初代、最後期黒ハーフ、最後期ProDAT(PDPシリーズ)ですね。
2インチデータディスクは2インチフロッピーというと馴染みがあるかな。 電子スチルカメラ用のメディアとして用いられた他、ソニーのワープロの記録媒体として使われていました。
「ミニディスク(MD)」と「MO」。ミニディスクはそこそこ普及したので説明しなくてもわかると思います。ちゃんとMD DATAも展示されているのには感心しますね。ちなみに最新のMMD-140Bではなく、初代(MMD-140)みたいですね。
MOはパソコン用の記録媒体でフロッピーディスクよりもいっぱい入る光磁気ディスクです。ソニーの光磁気ディスクと言えばHSだろう、と思ったのですが、残念ながら展示されていませんでした。他にも黒歴史なソニーのメディアとしてDDCDやHiFDもありますがこれらも展示無し。ソニー公認で黒歴史認定か?
ソニーは携帯電話メーカーとしての側面も…。左の写真はソニーの携帯電話第1号である「CP-201」。この時点でショルダーホンよりも格段に小さくなっています。なお、キャリアはDDIセルラーグループ(現・KDDI/au)であったとのこと。
ソニーの携帯電話は右写真みたいなソニー・エリクソン以前の機種がレトロ感が溢れていて良いよね?
まるでレジのような電子計算機である「ICC-500」。これでもポータブル機の先駆けで発売された1967年当時は世界最小・最軽量だったとか。『軽いからといって投げないでください』というキャッチコピーも今では笑い話ですが、当時は大真面目だったのですね。定価26万円というのも凄い。
ソニーのコンピューター2機種。左は「SMC-70」というソニー初の8ビットパソコン。ソニーらしくグラフィック性能が高いパソコンとして発売したが、22万8千円という高価な価格が災いし、商業的には失敗したという。拡張次第で16ビットマシンにもなる凄いパソコンだった。
右はソニーのワークステーション「NWS-820」。愛称は“NEWS(ニューズ)”。当時は任天堂と仲良しだったソニー、スーパーファミコンの開発機としてこのNEWSシリーズのワークステーションが指定されていました。信じられないでしょうけどスーパーファミコンのサウンドチップって久多良木さんが作ったソニーのチップが載ってたんですよ。
まぁ、後ろに置いてある“My First Sony” に触れないあたりがこのブログらしいですね。
せっかくなので、VAIO時代のパソコンも紹介しておきますかね。これは“VAIO QR”こと「PCG-QR1/BP」。これ、何に見えます?
そう、パイプ椅子です。パイプ椅子をモチーフにしたデザイン系ノートパソコンでした。
2000年に発売されたパソコンでOSはWindows Me、CPUはMobile Celeronの500MHzでした。
個人的に記憶に新しい、世界初の有機ELテレビ「XEL-1」。2007年当時の技術では画面サイズが大きく出来ず11V型となっています。デザインもソニーらしさが感じられる秀逸なものでしたね。
現在では大型画面の有機ELテレビ登場の兆しがあり、ソニーもXEL-1から10年後の節目となる2017年に大型画面の有機ELテレビがBRAVIAブランドで登場する予定です。
世界初のブルーレイディスクレコーダーである「BDZ-S77」。デザインが凄い高そうだw。ちなみにこの頃のブルーレイディスクはハードコートの技術が確立しておらず、カートリッジに入った専用のディスクを使用していました。
何事も新製品が出たらすぐに手を出してはいけないという好例なのかもしれない。
家庭用ゲーム機“PlayStation 2(PS2)”とハードディスク内蔵DVDレコーダーをドッキングしてしまった“PSX”「DESR-7000」。
地上波デジタル放送に対応しない本機、現在では某ショップのジャンク品で常連の機種になっていますよね。
ソニーと言えばゲーム機メーカーの1面を持つことででも有名です。と、言ってもワタシはソニーのゲーム機にあまり思い入れがないので、現在ワタシが持ってる最新の家庭用ゲーム機である「SCPH-70000」を撮っておきましたw。これは俗に言う薄型PS2ですね。
左の写真は1000万台達成記念?のプレイステーション(初代機)かな。全身金色のレアモデル。初代プレイステーションは本体色が特別な意味を持っていたため、色付けされている機種そのものが珍しいです。
小型8ミリビデオデッキの「EV-C8」。テープが小型という特徴を活かして、このような製品も発売されたのが8ミリビデオの特徴でした。ビデオウォークマンもそうですね。
しかし、ビデオカメラとして普及した8ミリビデオは家庭用の据え置きビデオデッキとしては普及したとは言えませんでした。
個人的に興味をそそる、こんなものも展示されていました。
1980年の「ビデオムービーの試作機」。手前に見える“ACP-110”はNP-1型のACアダプタかな?ということはNP-1を電源として使っていたのだろうか。でも、その後ろにはニカド電池と思われるバッテリーがたくさん入っているし…。謎だ。
奥には見たこともないようなビデオカセットが入っているのが見えました。よく見ると「MVC-20」という型番が見えます。20分テープ?
しかし、このテープが入っていた手前に入っているメカデッキは大きさ的にこのテープ用のものでは無いようですし、これまた謎です。
最後に会場で売られていたガチャガチャに挑戦。出てきたのは『ソニービル』でした。何か無難なのが出てきたな。果たして、ソニービルが“ソニー製品”なのは甚だ疑問ですが。
という訳で、いかがでしたでしょうか。去年(2016年)12月に行ってきて、あまりの写真の多さに最後の記事が年明けになってしまいました。それぐらい見応えたっぷりの“It's a Sony展”。歴代ソニー製品の展示は2月12日まで行われているので銀座へ行く機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてください。多分、1日では見きれない程の量がありますよ。
【参考文献】
『Sony Chronicle 2010 -製品の歴史でつづるソニーの足跡とその未来』
ソニー・マガジンズ,2010年3月
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